我が国の放送法制の沿革について概観する。
1 戦前の放送法制
(1)無線電信法等の規律及び社団法人日本放送協会の設立
戦前における我が国の放送は,大正4年に制定された無線電信法(大正4 年6月21日法律第26号)により規律されていた。同法は,1条において, 「無線電信及無線電話ハ政府之ヲ管掌ス」と定め,2条において,無線電信及び無線電話を私設するには主務大臣の許可を要する旨定めていたところ, 当初,私設の無線電信及び無線電話は,船舶通信等の極めて限られた範囲においてのみ許可されていた。しかし,次第に,放送用私設無線電話(ラジオ) の必要性が広く認識されるようになり,逓信省は,大正12年8月30日,「放送用私設無線電話ニ関スル議案」により,ラジオ放送の許可及びラジオ受信設備設置の許可についての方針を決定した。同年9月1日に発生した関東大震災の当時,通信・報道手段は電報と新聞が主であり,地震や火災によってこれらの機能は麻癖したことから,関東大震災を機に,天災の多い我が国には同時通信の施設が不可欠のものであり,放送無線電話の急速な実施を図るのが最適の方策であるという放送促進論が生じ,放送関係の法整備を促す一因となった(読みとく35ページ)。逓信省は,同年12月20日,放送用私設無線電話規則(大正12年12月20日逓信省令第98号)を公布・施行し,ラジオ放送の許可及びラジオ受信設備設置の許可についての規定を設けた(金鐸1ページ,五十年史5ないし14ページ,五十年史資料編41ないし48ページ)。
ラジオ放送事業の経営形態について,無線電信法や放送用私設無線電話規則の中には規定がなかったが,「放送用私設無線電話ニ関スル議案」の中で, 新聞社,通信社及ぴラジオ製作・販売業者を網羅する民営の組合又は会社を適当とすること,経営はラジオ製作・販売業者からの分担金及び「受信装置者」から徴収する「受信料金」によること,広告放送は許可しないことなどの方針が示されていた。しかし,大正13年8月,逓信大臣は,放送事業の経営組織を営利を目的としない公益法人とする新方針を決定し,同年から大正14年にかけて,社団法人東京放送局,社団法人大阪放送局及び社団法人名古屋放送局の設立を許可した。その後,逓信省は,三局を合同して全国組織体を作る構想を進め,大正15年,全国単一の社団法人によってラジオ事業を行うことなどを盛り込んだ全国放送網計画と新社団法人組織案を決定した。この決定に基づき,社団法人三放送局は解散され,同年8月6日,逓信大臣は,新たに社団法人日本放送協会の設立を許可した(五十年史14ないし21ページ,41ないし44ページ,五十年史資料編57ないし59ぺー ジ,162ないし168ページ)。
このようにして,我が国の放送は,法律上は放送事業の独占については何ら規定をしていなかったが,逓信大臣の自由裁量によって,同年以降,社団法人日本放送協会による単一独占放送方式の下で運営されることとなった。
(2)聴取料制度
放送用私設無線電話規則は,13条において,「放送事項ノ聴取ヲ目的トスル私設無線電話ヲ施設セムトスル者ハ願書ニ左ノ各号ノ事項ヲ記載シタル書類並相手放送施設者ノ承諾書ヲ添付シ所轄逓信局長ニ差出スヘシ」と定めた (上記規定中「承諾書」の添付を求める部分は,後に「聴取契約書」の添付を求めるものに改正された。)(五十年史資料編49ページ)。すなわち,ラジオ受信股備を設置しようとする者は,放送局と聴取契約を締結し,聴取契約書を添付しなければラジオ受信設備の設置許可を得ることができないこととされていた。そして,同規則は,11条において,「放送施設者第十三条ニ依ル私設無線電話施設者ョリ聴取料金ヲ受ケムトスルトキハ予メ其ノ額ヲ定メ逓信大臣ノ認可ヲ受クヘシ」と,聴取料金について逓信大臣の認可にかからしめる旨定めた。上記制度の下,受信設備設置者は,社団法人三放送局(後の,社団法人日本放送協会)との間で聴取契約を締結し,各法人に対し聴取料を支払う義務を負った。聴取料の支払確保は,受信設備設置許可と聴取契約締結とをセットとしていたことに加え,無許可の受信設備設置は無線電信法所定の罰則の対象であったことにより担保されていた。こうして,受信設備設置者と放送事業者との間に締結される契約に基づき受信設備設置者が放送事業者に直接聴取料を支払う制度は,ラジオ放送創設当初に創設されたものであった。
(3) 戦前の放送統制
戦前の放送は,発足当初から政府の監督下に置かれ,無線電信法を始め各種の法令によって拘東されていただけでなく,実際の放送事項,つまり番組内容についても,逓信省が大正13年2月26日に定めた放送用私設無線電話監督事務処理細則に基づく検閲や,政治上の議論,外交又は軍事の機密等について放送することを禁止する通達を発出することなどによる取締りが行われていた(五十年史32ページ,五十年史資料編54ないし56ページ)。
放送の取締りは,戦間期の国内情勢の緊迫化とともに強化され,放送用私設無線電話規則の改正(昭和4年逓信省令第55号)による所轄逓信局長の監督権強化や,情報委員会官制(昭和11年勅令第138号)による内閣情報委員会の発足,さらには,内閣情報部官制(昭和12年勅令第519号) による内閣情報委員会に代わる内閣情報部の設置により,放送に対する統制も強化された(五十年史105, 106及び116ページ,五十年史資料編50, 63及び64ページ)。
昭和13年4月1日,国家総動員法が制定された後,昭和14年7月26 日,社団法人日本放送協会内に時局放送企画協議会が設置され,内閣情報部の指導の下に番組の企画編成を行うこととされた。逓信省や内閣情報部は, これを通じて放送番組の編成に直接介入することができるようになった(五十年史128及び129ページ)。
情報局官制(昭和15年勅令第846号)により,内閣情報部は内閣情報局へと拡大強化され,放送事項に関する指導取締に関する事務は逓信省から内閣情報局へと移管され(「情報局逓信省両庁間ニ於ケル放送関係事務処理ニ関スル閣議了解事項」(同日閣議決定)),言論統制の一元化が図られた(五十年史資料編64及び65ページ)。
昭和16年12月8日の太平洋戦争開戦前後,放送の戦時体制化はより強化され,社団法人日本放送協会の全番組は戦時編制に切り替えられた。内閣情報局は,「国内放送非常態勢要綱」(昭和16年)及ぴ「戦時下の国内放送の基本方策」(昭和17年)を示し,「放送の全機能を挙げて大東亜戦完遂に適進す」ることを目的として掲げ,放送番組を全て国家目的に即応させるなどの方針を示した(五十年史資料編69及び70ページ)。
2 戦後の放送法制定までの経緯
(1)連合国総司令部(以下「GHQ」という。)の民主化政策
GHQは,占領開始後,ポツダム宣言及び昭和20年9月22日公表の「降伏後ニ於ケル米国ノ初期ノ封日方針」に示された連合国の対日管理の基本原則である非軍事主義化と民主化政策に基づいて,放送と政府を分離するー連の措置を執った(例えば,同年9月10日付け「言論及新聞ノ自由ニ関スル覚書」,同月24日付け「新聞ノ政府ョリノ分離ニ関スル覚書」,同月27日付け「新聞及言論ノ自由ヘノ追加措置ニ関スル覚書」,同年10月4日付け「政治的民事的及宗教的自由ニ封スル制限ノ撤廃ニ関スル覚書」。)。また,GHQは,同年9月22日,「日本ニ奥フル放送準則」(いわゆる,ラジオ・コー ド)を定め,これにより,主に,報道放送は厳重真実に即応すること,直接又は間接に公共の安寧を乱すような事項を放送しないこと,連合国に対し虚偽や破壊的な批判をしないこと,報道放送において編集上の意見を加えないこと等を命じた。これらの覚書は,言論の自由を奨励するー方で,連合国及びその軍隊の利益は厳重に保護するという姿勢を打ち出し,同時に,新聞や放送番組の編集の基準,あるいは違反に対する規制方法を示したものであった。そして,この基準に従って,内閣情報局が放送原稿を検閲した上で,これをGHQ内にある民間検閲局に提出するという放送の事前検閲が始まり, 占領後2年後にはこれが事後検閲へと改められ,昭和24年に廃止されるまでこれが続いた(五十年史204ないし209ページ,五十年史資料編75 ないし78ページ,読みとく38ページ,占領下3ないし44ページ)。
(2) 日本放送協会の再組織と民間放送事業者構想
GHQは,上記のように,占領開始後から言論・報道の自由や放送準則等について指令を発したが,我が国の放送の今後の在り方の全体について,具体的な方針を示さない状態が続いた。
ー方,日本国内においては,終戦直後から民間放送事業者設立の動きが存在し,多くの実業家等は,戦時中に放送が国策宜伝機関へと変質し,世論を誤った方向へ誘導したことを問題視し,その反省から,新しい放送事業体として民間放送事業者を設けるべきと考えていた(五十年史231ページ,読みとく38ページ)。
日本政府は,昭和20年9月25日,「民衆的放送機関設立ニ関スル件」を閣議決定し,社団法人日本放送協会のほか,民間放送事業者に対し許可を与えるという方針を明らかにした。なお,この「民衆的放送機関」は,飽くまで社団法人日本放送協会の存続を前提に,同協会と並立するものと考えられており,同閣議決定には,備考(2)として,「日本放送協会ハ差当リ現在ノ形態ヲ持続シ必要ニ応ジ将来所要ノ改善ヲ加フルモノトス」と付記された(金深2ページ,五十年史資料編80ページ,占領下37及び38ページ)。
しかし,GHQは,同年12月11月,「日本放送協会ノ再組織」に関する覚書(通称「ハンナー・メモ」)を日本政府に交付し,その中で,,公共放送機関として社団法人日本放送協会を存統させること,同協会の会長に助言するための顧間委員会を新設し,同委員会を通じて同協会の運営を徹底的に民主化することを方針として指示した。なお,上記メモの手交の際,民間通信局 (以下「CCS」という。)ハンナー大佐は,このメモはGHQが商業放送を許可しないことの意思表示と理解するようにと口頭で説明を加えたと言われている。昭和21年12月から昭和22年1月にかけて開催された対日理事会においても,同協会による独占放送方式の維持に賛成し,民間商業放送には反対する意思が表明された(内川276, 277, 280ないし283, 290ないし292ページ,五十年史234, 235ないし254ページ, 五十年史資料編80及び81ページ,占領下49ないし54, 93ないし1 30, 360,361,371ページ)。
これを受けて,逓信省電波局は,暖昧な状態となっていた民間放送事業者問題に関する政府としての態度を固め,同年2月14日付け「新放送機関の設立について」,同日付け「第二放送について」,同月18日付け「新放送会社設立許可申請の処理について」において,民間放送事業者を設立して複数競争方式を実現するという方針を飽くまでも維持するが,我が国の受信設備等の生産状況あるいはGHQの方針等を考慮して,「当分の間」民間放送事業者は許可できないという方針を示した(内川293ないし296ページ,五十年史254及び255ページ,五十年史資料編81及び82ページ,占領下130ないし134ページ)。
(3)放送法制定の動き
戦後初期のこうした伝統的放送体制の変容。改変の過程から,間もなく新憲法体制下の新しい放送法制定の動きが始まった。
昭和21年10月10日,CCSは,逓信次官に対し,同年11月3日公布予定の日本国憲法の実施に伴う逓信関係法令の改編整備を指示した。その内容は,逓信関係法令に対しそれぞれ必要な改正を加え,もって,①これを新憲法に即応するものたらしめ,②通信を完全に民営化し,これに対する軍の統制,影響の痕跡を永久に除去し,且つ,③法令内にある時代後れの箇所を改めて現代的なものとすることを指示するものであった。これを受けて,逓信省は,同年11月1日,逓信省大臣官房内に臨時法令審議委員会を設置し,関係法令の整備作業に着手することとなった(内川287及び288ペ ージ,五十年史252及び253ページ,占領下91及び92ページ)。
昭和22年10月1 6日,CCSは,日本放送法に関する会議において, 逓信省及び社団法人日本放送協会に対し示唆を与えた(通称「ファイスナー・メモ」)。その要点は,①放送法は,放送の自由,不偏不党,公衆に対するサービスの責任の充足及び技術的諸基準の遵守という4つの重要なー般原則を反映すべきであること,②放送を管理し,また,放送を運用する公共機関を設立し,同公共機関はいかなる行政官庁や団体からも独立した自治機関であり,同公共機関は全ての受信設備所有者から聴取料を取る権利を規定によって与えられるぺきであること,③公共放送と民間放送との二本立てによる複数競争方式を採用することなどであった(内川304ないし312ページ,五十年史258及び259ページ,五十年史資料編82及び83ページ,占領下149ないし163ページ)。
以後,ファイスナー・メモにより示された公共放送と民間放送との二本立てとする基本方針に沿って立法作業が進められ,制定した放送法においても, 二本立て体制が採用された。
公共放送と二本立て体制につき,立法担当者である網島毅電波監理長官は,昭和25年1月24日第7回国会衆議院電気通信委員会において,「わが国の放送事業の事業形態を,全国津々浦々に至るまであまねく放送を聴取できるように放送設備を施設しまして,全国民の要望を満たすような放送番組を放送する任務を持ちます国民的な公共的な放送企業体と,個人の創意とくふうにより自由閥達に放送文化を建設高揚する自由な事業としての文化放送企業体,いわゆる一般放送局または民間放送局というものでありますが,それとの二本建としまして,おのおのその長所を発揮するとともに,互いに他を啓蒙し,おのおのその欠点を補い,放送により国民が十分福祉を享受できるようにはかつているのであります。次に公共的な放送企業体としましては,現在我が国の放送を独占的に実施しております日本放送協会が,約六千人の社員によつて構成される社団法人であるにかんがみまして,新たに全国民に基盤を持つ公共的な特殊法人である日本放送協会を設けることといたしまして, 現在の社団法人日本放送協会の設備,人員,権利義務の一切を,新しい日本放送協会に移しまして,現在の社団法人日本放送協会は解散するものといたしたのでございます。従いまして新しい日本放送協会につきましては,全国民が国会を通じてその人事,業務の運営,財務等について必要な監督を行うのでございます。」などと説明した(昭和25年1月24日第7回国会衆議院電気通信委員会議録第1号20ページ)。また,社団法人日本放送協会会長の古垣鉄郎は,同年2月7日,衆議院電気通信委員会公聴会において,放送法案について,経営委員会の権限の弱さと監督行政の複雑さなどの点には反対を表明しながらも,この法案が,「・・・放送が最大限度に普及されて,その公共性が十分に保障されること,及ぴ放送の自由を確保して,放送が健全な民主主義の発達に資することを理想とし目標とする点において,この法案に賛成」すると述べた上で,「・・・日本全国どこでも聞かれる公共放送を中心として,これに配するに自由企業の商業放送をもつてし,両者の短を補い, かつ両者の長を十分発揮せしめるという趣旨であろうと拝察いたします。この意味におきまして,この法案は確かに進歩的な,また野心的な法令でありまして,私どもはそれが国民全体の利益を増進することであり,少なくともそれが国民大衆の利益,利便を現実にそこなわない限り,新しくできるであろうところの商業放送に対して,協力を惜しむものではありません。NHK は世間でいろいろと手きびしい批判をこうむつてはおりますけれども,何と申しましても,わが国においては唯一の経験者であり,しかもニ十五年という世界の放送史上で比較的長い経験を有する事業体でもありますから,私どもは今後商業上の目的をもつて新しく放送をお始めになる他の事業体に対しましても,その健全な発達に及ぱずながら欣然御加勢いたしたいと考えるものであります。私どもはこの見地から,放送事業の各部門について,具体的な協力方法の検討を進めたいと考えておるのであります。」と述べている(昭和25年2月7日第7回国会衆議院電気通信委員会公聴会議録第1号7ぺー ジ)。
(4)受信料規定等の変遷
通信関係法令の改正への動きが進む中で,以下のとおり,放送法案における受信料規定も変化していくこととなった。
ア 受信料支払義務方式(昭和23年1月案,同年2月案及び同年6月案(第2回国会提出))
昭和23年1月20日の放送草案では,従来のような受信設備設置の許可制こそ盛り込まれなかったものの,受信設備設置の届出義務を規定し(7 5条),無届けで受信設備を設置した者に対する罰則規定を設けた(105 条)。受信料及びその支払義務については,「標準放送を受信し得る設備をした者は,第五十一条に規定する受信料を日本放送協会に支払わねばならない」(79条)と規定した(村上35及び36ページ)。
同年2月20日の放送法案では,同年1月案に存在した受信設備設置の届出義務と受信料の支払義務とを組み合わせる規定が廃止され,受信料については,「協会は,協会によつて提供された種類の放送を受信できる設備をした者から受信料を徴収することができる。」(3 8条1項)と規定し, 放送協会の受信料の徴収権を認めていた(村上36及び37ページ)。逓信省としては,公共放送の財源確保のために受信設備設置の届出義務と受信料の支払義務を連動させる規定を維持したいとの考えを有していたが,G HQが行政行為と私的な契約を組み合わせることに反対したために廃止されたとも言われている(村上37ページ)。また,同年前後には,聴取料収入によって安定的に社団法人日本放送協会の運営が行える見通しが立つ状況になってきた面も,かかる規定の廃止に影響を与えたと考えられている (村上35及び36ページ)。
同年6月18日,同年2月案にccsの修正意見等を踏まえて修正を加えた放送法案が第2回国会に提出された。同法案では,「無線電信法(大正四年法律第二十六号)第二条の規定にかかわらず,何人も,自由に受信設備を設置し,放送を受信することができる。但し,日本放送協会の提供する放送を受信することのできる受信設備を設置した者は,第三十九条に定める受信料を支払わねばならない」(6条1項)と規定し,受信設備の設置の自由を明記するとともに,受信料の支払義務を明示した。また,「協会は, その提供する放送を受信することのできる受信設備を設置した者から,受信料を徴収することができる。」(39条1項)と規定し,日本放送協会の受信料の徴収権を認めた(内)II 3 1 2ないし314ページ,村上38ないし40ページ,占領下163ないし206ページ)。
しかし,第2回国会は,実質審議に入ることなく閉会し,その後内閣交代等のため,第3回及び第4回国会では放送法案は提出されなかった(内川314ページ)。
イ 契約締結擬制方式(昭和24年3月案,同年8月13日案)
その後,放送法案の受信料に関する規定に大きな変化があったのは,昭和24年3月1日の放送法案であった。それまで「受信の自由」に盛り込まれていた「受信料を支払わねばならない」とする規定(6条1項)は削除され,受信料に関しては,「協会の放送を受信することのできる受信設備を設置した者は,協会とその放送の受信についての契約を締結したものとみなす。」(38条1項)と規定された。
同年8月13日の放送法案では,電波の受信に関わる規定は電波法に盛り込まれたことから,「受信の自由」に関する規定が放送法案からなくなり, 受信料に関しては,「協会の標準放送を受信することのできる受信設備を設置した者は,協会とその放送の受信についての契約を締結したものとみなす。」(2 9条)と規定された (国立公文書館所蔵「放送法案」(昭和24 年8月13日))。
これらは,支払義務という強制色の強い規定を排除する一方で,「契約の擬制」という手段によって,受信料制度の維持を狙ったものと考えられている(占領下224ないし265ページ,村上41ページ)。
ウ 契約締結義務方式(昭和24年8月27日案,同年10月案及び成立した放送法案)
昭和24年8月27日の放送法案では,上記の契約締結擬制方式から,「協会の標準放送を受信することのできる受信設備を設置した者は,協会とその放送の受信についての契約をしなければならない。2 協会が前項本文の規定により契約を締結した者から徴収する受信料は,国会が定める。」という契約締結義務方式に規定が修正され(28条)(国立公文書館所蔵「放送法案」(昭和24年8月27日),村上41及び42ページ),この放送法案は,若干の修正が加えられ,同年10月12日に閣議決定され,第7 回国会に提出された(内川324及び325ページ,放送五十年史264 及び265ページ,村上4 3及び44ページ)。
国会審議の結果,放送法(昭和25年5月2日法律第132号)(以下「法」 という。)は,昭和25年4月26日に成立し,同年5月2日に公布され,同年6月1日に施行された。成立当時の法は,32条において,「協会の標準放送(535キロサイクルから1, 605キロサイクルまでの周波数を使用する放送をいう。)を受信することのできる受信設備を設置した者は,協会とその放送の受信についての契約をしなければならない。但し,放送の受信を目的としない受信設備を設置した者については,この限りではない。2 協会は,あらかじめ電波監理委員会の認可を受けた基準によるのでなければ,前項本文の規定により契約を締結した者から徴収する受信料を免除してはならない。3 協会は,第1項の契約の条項については,あらかじめ電波監理委員会の認可を受けなければならない。これを変更しようとするときも同様とする。」と定められた。
上記の国会審議において,放送法案を策定した電波庁の網島毅電波監理長官は,契約締結義務方式を採用したことについて,「日本放送協会がここに何らかの法律的な根拠がなければ,その聴取料の徴収を継続して行くということが,おそらく不可能になるだろうということは予想されるのでありまして,・・・強制的に国民と日本放送協会の間に,聴取契約を結ばなければならないという条項が必要になつて来る」,「この料金は日本放送協会と聴取者の契約ではございますが,法律でもつてこれを強制しておるのであります。自分がいやだからと言つて,契約を結ばないというわけには行かないのでありまして,最後に裁判所で問題になつたときも,やはりこの条文が生きて来ると思うのであります。」(昭和25年2月2日第7回国会衆議院電気通信委員会議録第4号6ページ)と答弁した。
エ 本件規定の変遷の趣旨
上記アないしウの本件規定の文言の変遷は,協会の財源である受信料を確保するという要請を充たしつつ,そのための手段から強制性の要素を極力減らすという方向に内容を変化させていったものである(占領下441 ページ,証言(I) 53ないし56ページ)。
3 放送法改正の動き
(1)昭和41年放送法改正案
当時の郵政省設置法に基づいて郵政大臣の諮間機関としで設置され,法や電波法の改正問題を審議していた臨時放送関係法制調査会は,昭和39年9 月8日,「受信料は,協会の維持運営のため,法律によって協会に徴収権の認められた,『受信料』という名の特殊な負担金と考えるべきである。その負担者を『協会の放送を受信することができる受信設備を設置した者』としている現行法の建前は,負担者の心理からみても,協会の業務努カという観点からみても,妥当であると認められるが,現行法が受信料の負担関係を受信契約の強制という形で表現している点については,法律をもって直接に生ずる支払義務として規定する方が簡明でよいと考える。」旨答申した(国立公文書館所蔵「答申書」(昭和39年9月8日)15及び16ページ,81及び82 ページ)。
上記答申を受け,郵政省は,放送法等の改正についての法案の検討に着手し,昭和41年3月15I日,放送法の一部を改正する法律案が第51回国会に提出された。同改正案では,「協会の放送を受信することができる受信設備を設置した者は,協会に受信料を支払わなければならない」(32条1項)と規定し,受信設備の設置による受信料支払義務を明示した。
しかし,同改正案は,国会で審議未了により廃案となった(五十年史790ないし793ページ,問題206ページ)。
(2)昭和55年放送法改正案
昭和55年,受信契約未契約者や受信料未払者が増加傾向にあることを背景に,受信料支払義務等を盛り込んだ放送法の一部を改正する法律案が,第91回国会に提出された。同改正案では,「協会の放送を受信することのできる受信設備を設置したものは,その設置の時から協会に受信料を支払わなければならない」(32条1項)と改定するとともに,「支払義務者は,受信設備の設置後遅滞なく,受信設備の設置の日及ぴ種類その他第32条の3第1項の受信料規程で定める事項を協会に通知しなければならない」(3 2条3項) と新たに規定した。さらに,受信料不払に対して延滞金及び割増金の徴収を認める規定を新設した(32条の2第1項・2項)。
しかし,同改正案も,本格審議の前に衆議院で内閣不信任案が可決され, 衆議院が解散されたため,審議未了により廃案となった(問題206ページ)。
(3)平成19年放送法改正案
総務大臣の私的懇談会として平成17年12月に設置された通信と放送の在り方に関する懇談会は,通信と放送に関わる現状のあらゆる課題について検討を行い,平成18年6月6日に報告書を策定した。その中において,受信料制度について,「ガバナンス強化やチャンネル数の削減,組織のスリム化等の措置によりNHKの公共性を絞り込んだ上で,過大な水準にある受信料徴収コストを出来る限り削減するとともに,現行の受信料を大幅に引き下げ,NHKの再生に対する国民の理解を得ることが必要である。それを前提に受信料支払いの義務化を実施すべきである。その後更に必要があれば,罰則化も検討するべきである。」としている(問題205ページ)。
他方,当時,与党である自由民主党の通信・放送産業高度化小委員会においても,通信と放送の制度改革の在り方について検討が行われ,平成18年6月,受信料制度については支払義務化が必要であり,平成19年3月頃に導入時期を判断する,義務化によって効果が得られない場合は罰則等の導入も検討するとの提言がされ(問題205ページ),政府及び与党間で調整が行われた結果,平成18年6月20日に公表された「通信・放送の在り方に関する政府与党合意」において,「NHK内部の改革を進めた上で,受信料の引き下げのあり方,受信料支払の義務及び外部情報の活用についての検討を行い,必要な措置を取る。その後,更に必要があれば,罰則化も検討する」とされた(問題205ページ)。これらを受けて,政府は,平成19年の国会提出に向けて法の改正検討に着手したものの,受信料の引下げ等の措置を講ずることなく,受信料義務化だけを先行することは,国民の理解は得られないとして,第166回国会に提出された放送法等の一部を改正する法律案には受信料支払義務化は盛り込まれることはなかった(問題205, 206及び 208ページ)。
4 現在の受信料規定
現行法は,64条において,「協会の放送を受信することのできる受信設備を設置した者は,協会とその放送の受信についての契約をしなければならない。 ただし,放送の受信を目的としない受信設備又はラジオ放送(音声その他の音響を送る放送であつて,テレビジョン放送及び多重放送に該当しないものをいう。第百二十六条一項において同じ。)若しくは多重放送に限り受信することのできる受信設備のみを設置した者については,この限りでない。2 協会は,あらかじめ,総務大臣の認可を受けた基準によるのでなければ,前項本文の規定により契約を締結した者から徴収する受信料を免除してはならない。3 協会は,第一項の契約の条項については,あらかじめ,総務大臣の認可を受けなければならない。これを変更しようとするときも,同様とする。」と規定している。
我が国の放送法制においては,放送事業の担い手につき,営利を目的としない社団法人のみであったのが,これを引き継いだ協会と民間放送事業者との二本立てとするに至り,公共的色彩を帯びた社団法人ないし協会の財政的基盤を確保する手段につき,戦前の無線電信法時代における受信設備設置の許可と聴取契約の締結とをセットとする方式から,法制定過程の議論における受信料支払義務方式,契約締結擬制方式を経て,現行の契約締結義務方式に結実した。 その後,数次にわたって制度の改正が試みられたが,協会の放送を受信できる受信設備の設置者に受信契約の締結義務を負わせている点,放送の受信を目的としない受信設備の設置者を除外している点,受信料免除はあらかじめ主務大臣の認可を受けた基準によらなければならないとする点,受信契約の条項についてあらかじめ主務大臣の認可を受けなければならない点等受信料規定の核心部分は,法制定当時から現在まで変更がない。
なお,上記1 (2)のとおり,昭和25年以前は聴取料制度が採られていた。聴取料制度を,現在の放送法における受信料制度と対比すると,受信設備設置許可と受信契約締結が組み合わされていたこと,無許可の受信設備設置は無線電信法所定の罰則の対象とされていたことという点で違いがあるものの,受信設備を設置した者からの収入をもって放送事業者の財政的基礎とすることとし,その方法について,受信設備設置者と放送事業者との間に締結される契約に基づき受信設備設置者が放送事業者に直接聴取料を支払うという方式を採用していた点で共通していたものである。この点につき,立法担当者は,「現行の受信料制度は,無線電信法・社団法人日本放送協会時代の受信料制度をつとめてそのまま維持するという方針でつくられた。すなわち受信設備を設置する場合には放送局と契約して一定の料金を支払うという既に定立された国民的慣行を土台とし,国民の立場から見た場合には新法(電波法・放送法)の時代となっても旧制度をそのまま継続しているのと事実上変りがないようにしようとしたのである。かくてでき上った現制度では・・・受信者たる公衆から見れば事実の上では何の変化もなく,新制度への移行は極めて円滑に行われた。」としている (荘256ページ)。法を制定する過程で,受信料について,端的に支払義務を負うとするか,契約締結を擬制するか,契約締結を義務付けるかについて議論及び変遷があったことは,前記2 (4)で述べたとおりであるが,いずれにしても, 聴取料ないし受信料の収入により公共放送の運営資金を賄おうとしていたことは,昭和25年の放送法制定前後で一貫しているのである。